平成23年8月より玉東町では二俣古閑の発掘調査をしています。
田原坂に対面する玉東町の二俣台地は、政府軍が砲兵陣地を置いたと言われています。

昨年度、二俣瓜生田砲台跡の調査では、大砲の轍跡や砲床と思われる遺構、また大砲の消耗品である摩擦管(まさつかん)が検出されています。

砲台は数か所に築かれたと考えられ、今年度は古閑砲台跡の調査に着手しました。
当該地は、地元では「台場(だいば)」といわれており、植木の七本攻撃の為の砲陣地と言われているところです。

実際、調査では摩擦管が30点ほど出土。
その他、大砲関係の遺物や、馬の脚にはめる蹄鉄が出土しました。

当時使用されていた大砲は「四斤山砲(よんきんさんぽう)」といって、分解して馬2頭(人で運ぶことも)で運ぶことのできるものです。
この蹄鉄は大砲を運ぶために使った馬のものか、もしくは砲兵の隊長が乗っていた馬のものか、はっきりは分かりませんが、戦時の様子が目に浮かぶようです。