11月6日(土曜日)玉東町中央公民館で、講座「軍人亀鑑・谷村計介~その生涯と死後の評価~」を開催しました。
宮崎市教育委員会の井田篤先生を講師にお招きし、お話しいただきました。

 

一昔前までは教科書に載るほどの有名人であった「谷村計介」ですが、
今は知る人も少なくなりました。
当玉東町の国指定史跡西南戦争遺跡の一つ「宇蘇浦官軍墓地(うそうらかんぐんぼち)」に眠る人物です。

 

宮崎県(当時は薩摩領)出身の谷村計介は、明治10年西南戦争では政府軍伍長として参戦しました。
熊本鎮台から政府軍の本営のある玉名高瀬への伝令としてその使命を果たし、直後の田原坂総攻撃で命を落としました。

 

その後、遺体は故郷に帰ることなく玉東町木葉の宇蘇浦官軍墓地に葬られました。
彼の活躍が知られるようになったのは、熊本城籠城会による明治15年の石碑建立後だったようです。
その後の戦争では軍人の鑑として崇められ、その墓石を削ってお守りにする人が出るほどだったといいます。
大正13年昭和天皇ご成婚の際に従五位という位を受け、その名声は当時の教科書に載るほどのものでした。

 

一体どのような功績があり、死後の時代の中でどのように評価されたのか。
詳しくは資料をご覧ください。

 


谷村計介レジュメ20211106のサムネイル

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